気まぐれ日記 2013年2月

2013年1月ここ

2月1日(金)「あれから2年・・・の風さん」
 二日連続半徹夜では、明日からのビジネススクールでスタートダッシュが切れないので、昨夜は5時間の睡眠時間。ギリギリの妥協点だ。
 しかし、結果として会社の仕事の準備ができなかった(実は、自宅で会社の仕事をすることは多い)。
 研修所に出社して、午前中はほとんど力仕事をした。
 どういうことかと言うと、ロビーのレイアウト変更と似たことを、図書室でも実行したのだ。
 外からソファを運び込んで、とりあえず居心地良い空間を作ろうというわけだ。
 ロビーでの経験が生きた。
 午後は旧職場に移動して、全く別の仕事をした。
 老兵になってきているので、他愛もない仕事でも進んでやる。
 帰宅途中でミッシェルに給油するのはよくあるパターンだが、今日はさらにaushopに寄って、Wi-Fiルーターを解約してきた。アプリルにUSB接続して使っていたもので、母の認知症介護を決意したとき、福島県郡山市のaushopで購入したものだ。
 あれからちょうど2年になる。
 母との思い出がまた遠くなる。
 これ以上は言葉にならない。

2月2日(土)「朝からアクシデント・・・の風さん」
 いつものように必死の予習をして、今日からビジネススクールだ。ゼミの先生の講義なので、絶対に落とすわけにはいかない。しかし、人気の高い講義で、エントリーが多いから、合格のハードルは決して低くない。
 しかし、4時間の睡眠はちょっと危険水域だな。
 出かける前のバタバタの中でアクシデントがあった。
 2階への階段を上がるとき、ちび助とじゃれあっていて、最後の1段を踏み外し、左のむこうずねを角にぶつけた。
 ちび助の上に乗らないように注意しつつ、2階の踊り場に転がって、体重をうまく逃がした……つもりだった。
 ズボンをめくってみたら、むこうずねがへこんでいる。角と角が当たったのだから、強烈な激突でなくても、単位面積当たりの荷重は高かったに違いない。すぐに血がにじんできた。
 もちろん痛い。
 急いで消毒をした。
 何とか歩けるので、最悪の事態(講義に欠席)は避けられたと思った。
 ビジネススクールはやはり盛況で、私の指定席は尊敬するKさんに征服されていた。
 止むを得ず、すぐ後ろの席を確保した(自慢げにアイフォン5、アイパッド・ミニ、マックブックエアーを上から見せびらかしたが、負け惜しみはバレバレで、冷たい視線が返ってきた)。
 慣れない席で不安だったが、終日、分かったような顔をして、積極的に発言した。
 今朝負傷した足は大丈夫そうだったので、帰りは駅まで歩いた。
 帰宅してビックリ。むこうずねに2か所、痛々しい傷跡が……。
「骨が折れてるよ、きっと」
 ワイフが言うのも無理はない。

2月3日(日)「バッテリ切れ・・・の風さん」
 昨日は、名古屋で開催される数学史セミナーに出席できなかった。
 今日は、会社の大先輩の四回忌の法要があったが、出席できなかった。
 ビジネススクールを優先させた。
 昨日の負傷は痛みが残っていたが、歩けるので、元気に家を出た。
 しかし、負傷とは別に、連日の無理が影響してきて、午後の講義では意識を失いそうに何度もなった。
 マックブックエアーはバッテリ駆動で夕方までもったが、私の肉体のバッテリは、帰るころには上がってしまった。
 それでも、ひどい状態ではなかったので、講義は、まあ無事に終わったと言えよう。
 無事でなかったのは、足の方だった。
 夜、再びワイフとチェックしてみると、足首から下が腫れ上がっている。皮膚が黒く変色している。
 内出血した血がたまっているのだ。
「やはり骨が折れているよ」
 ワイフは自信たっぷりに断定した。

2月4日(月)「ギリギリの綱渡り・・・の風さん」
 骨折していようがいまいが、やらねばならないことがあった。週末の講演の準備である。
 今朝の就寝は4時だった。少しでも寝ておかないと、今日という日が始まらない。それで少しだけ寝た。
 週末の講演のために、講演スライドの社内承認が必要だった。
 今日もギリギリの綱渡りらしい1日だった。
 午前中に部長の承認をもらい、午後、副社長の承認をもらった。
 全く余裕のない仕事ぶりである。
 しかし、これで終わったわけではない。ひと月後の講演のためにも、準備が必要なのだ。

2月5日(火)「『まほろばの経営学』・・・の風さん」
 数日前のことだが、ソシオテック研究所の創業者である竹内倫樹(つねき)さんから新刊が送られてきた。
 昨年、研究所の代表の座をゆずられたので、てっきり引退されたのかと思っていたが、そうではなかった。少し安心した。
 送られてきたのは『まほろばの経営学』で、サブタイトルに「和魂洋才 再び」とあるように、日本的、歴史をふまえた経営学の本であり、私にはしっくりとなじむ。それにしても凄いタイトルだ。
 ありがたいことに、昨年出版した拙著『江戸の天才数学者』を、参考文献の一つに加えて下さった。
 私もいつかこういった本を書きたい。そして、日本的なタイトルをつけるのだ。

2月6日(水)「時代の大きな転換点に来ているのだろう・・・の風さん」
 研修所の図書室で「利用キャンペーン」が始まった。
 色々なアイデアを出して、利用を促しているのだが、その一つに、ビデオの放映がある。もちろん小さな音量でだが、かつて人気が高かったNHKの「プロジェクトX」を放映している。私が観たかったからでもある。
 社会人になって30年以上、ほとんどテレビを観ない生活をしてきた。小説の勉強時間を確保するためだった。
 今回、ビジネススクールで「アントレプレナーシップ」を受けているので、起業家を扱った番組を観ることにした。富士通のスーパーコンピューター、ホンダのCVCC車、シャープの液晶、日産のフェアレディZなどである。
 ほとんど私の学生時代の出来事で、まだ日本が強かった時代、就職してから、私も似た経験を積むことができた。やはり古き良き時代の話だ。
 先進国である日本は既に第3次産業が主流になっている。
 モノづくりは、サービスといった価値を提供するための、裏舞台の役割を演じるようになった。
 明らかに時代の転換点に来ているのだ。

2月7日(木)「破たんの兆し・・・の風さん」
 やってもやっても仕事が片付かない。
 いつもそうだが、昨夜も疲れてしまい、9時から午前1時まで書斎でダウンした。
 起き出して、また頑張り、明け方また疲れてしまい、午前6時から1時間だけ睡眠を補充した。
 旧職場に出社して、会議で主導的役割を演じ、昼食後、午後有休に突入した。
 3か月目でもうのべ有休日数が7日である。それだけ能力が落ちているのだ。でなければ、本当に超多忙なのか。
 今日は、自分の銀行口座に10万円預金した。ワイフから借りたお金である。預金しないと、来週早々に私の口座はマイナスになってしまう。定期預金もないので、凍結されてしまう恐れがある。かと言って、ないものはない。ワイフから借りるしかなかった。
 愛工大の図書館から借りている本の延長手続きをウェブ上でやろうとしたら、2冊はもう延長できない状態になっていた。
 あちこちで破たんの兆しが……。

2月8日(金)「シンポジウムで講演とパネラー・・・の風さん」
 私よりも早く出かけるワイフを駅まで送ろうとしていたら、激しく雪が降ってきた。
 一刻の猶予もならなかった。遅くなればなるほど、道路に雪が降り積もって、車で送れなくなる。
 ほとんど吹雪状態の中、そろりそろりと走らせて、ワイフを送った。
 私が出かけるときも雪は激しく降っていて、駅までの10分の道のりを終えた後、横殴りの雪にたたきつけられた私は、真っ白な雪だるま状態だった。
 ポケットに充電電池式カイロをしのばせていたが、ほとんど効果なく、寒くて死にそうだった。
 あちこち用事を済ませながら本山キャンパスまで行って、借りた本を返却し、ランチ後、名古屋大学へ入った。
 第9回次世代自動車公開シンポジウムで講演とパネラーをやった。
 懇親会含めて多くの人と話ができて、有意義な1日だった。

2月9日(土)「勝負は明日・・・の風さん」
 昨日の講演が終わって、当面の最重要課題は、ビジネススクールである。今受けている科目を何が何でも合格しなければならない。そのための作戦は、こうだ。
 授業はとにかく手を上げて発言すること。私らしい回答や問題提起ができればなお良いが、そう甘くはない。そうやって最低限、自分の存在をアッピールしておいて、あとはレポートである。明日の課題の一つがそのままレポートの課題でもある。
 そして、さらに、先生からの提案で個人プレゼンを求められている。全員がプレゼンするだけの時間はないが、早い者順で、やればそれなりの評価をしてもらえる。断トツの発言も、抜群のレポートも書けない私なので、個人プレゼンもエントリーしてあった。
 いつものように電車に乗って、名古屋で地下鉄に乗り換え、最後に降りた駅の売店で予算400円の昼食とドリンク(パンとコーヒー)を買って、キャンパスに突撃した。
 勝負は明日である。

2月10日(日)「怒涛の受講が終了・・・の風さん」
 実は、金曜の夜、ほとんど徹夜状態だった。
 理想的には、十分睡眠をとって土曜日の講義に臨み、日曜日提出のレポートに全力投入すべきだった。
 しかし、昨日の講義をこなすために、既に半徹夜が必要だったのだ。
 そして今日は、講義で発言すべき課題であり、個人プレゼンもエントリーしていて、さらにレポートとして提出しなければならない「ケースクェスチョン」があった。
 楽勝でできるだろうか。いや、それは無理だ。
 日付変更線を越えたあたりから、一睡もできなかった。
 プレゼン用のスライドをマックブックエアーに仕込み、それをレポートらしく編集したものをプリントアウトした時点で、もう朝食の時間も十分に残っていなかった。
 いつものように電車に飛び乗った。
 今日の講義のために読書を始めたが、10分も続かなかった。
 昨日は、午後になって意識が薄れ、ろくな発言ができなかった。
 今日は、朝から不調だった。とりあえずレポートは提出した。
 それでも、午後になって、プレゼンをやった。お笑い系の内容で、絶不調をカモフラージュしたが、はたしてポイントはゲットできただろうか?
 打ち上げに出席する気力も体力も財力もなかったので、終わってすぐ家路についた。
 帰宅したからと言って、すぐ晩御飯を食べて寝ることはできなかった。
 2週間後の講演のための前刷り原稿を仕上げて事務局へ送らねばならなかった。

2月11日(月)「夢遊病者の1日・・・の風さん」
 昨日は24時間以上起きていた。半徹夜が2日続いたが、昨夜の睡眠は5時間に満たなかった。
 幽鬼のように起き出して、研修所へ出社した。建国記念日だが、会社は休みではない。私も休めない。
 昼食をしっかり摂った後、午後一番で予想外の会議があった。
 1時間ほどの会議が終了したとき、私は部長の横で意識を失っていた。
「寝てると風邪ひくぞ」
 部長に肩を叩かれて目が覚めた。
 その後も何をしているのか分からないうちに時間が過ぎ、定時になったので、これ以上恥をさらしてはいけないと早々に退社した。
 帰りに大型家電量販店に寄ったが、そこでは何も購入せず、百円ショップで額縁を一つ買った。
 帰宅してその額縁にクリムトの絵葉書(maid in France)を入れて飾った。

2月12日(火)「忙しくてもマトリョーシカを作る風さんの巻」
 研修所に行く途中、郵便局で手紙を投函した。
 午前中は会議。しっかり昼食を摂った後、図書室でビデオを観た。
 その後、自分が主催する会議。これは昨年の避難訓練の高評価を仲間に伝えるのが目的だった。
 次の会議に出席するだけのパワーはもう残っていなかった。
 今日は巨額のお金が引き落とされる日だった。ときどき思い出して冷や汗を流す。
 今日もさっさと退社。
 途中、灯油を買って帰った。
 午前零時近くなり、ワイフの仕事場へ行った。
 会社の同僚に自慢げに見せるため、小さなマトリョーシカをトールペインティングで作るのである。
 昨年の体験教室と同様に、ワイフがほとんど描いてあり、私は顔を描いてデコレーションをするだけ。
 小1時間かかったが、我ながら良い出来だった。

2月13日(水)「戸締り当番の日・・・の風さん」
 昨夜作った小さなマトリョーシカを会社で自慢した。
 ふだん元気のない風さんなので、こういうときだけ、はつらつとする。
 これで会社に大中小、3つのマトリョーシカが並んだ。
 同僚の女子たちは、またいつかワイフの体験教室に来てくれるだろう。
 今夜は戸締り当番だ。
 遅くまで仕事をする人がいるから、早くは帰れない。
 実は、先月の大ピンチのときに代わってもらった日の戸締り当番である。
 明日は、私の本来の戸締り当番。

2月14日(木)「例外の日?・・・の風さん」
 昨年の11月に母が亡くなって、当然、喪に服している。
 クリスマスもなかった。もちろん正月も。
 百箇日までは、静かに過ごそうと家族で申し合わせていた。
 ところが。
 食いしん坊だからではないが、バレンタインデーを忘れていた。
 旧職場に出社したら、2つもらってしまった。
 午後、本社へ移動した。
 3年連続になるが、社長から感謝状(学会賞受賞に対する)をもらうのである。
 合同表彰式で、百人以上の出席者がいる。
 表彰式のあと、懇親会になった。
 ミッシェルで来ているので、酒を飲むわけにはいかない。
 役員と話すのも飽きたので、食べ物を手に入れて、すみっこに行き、同僚の女子たちとピクニック気分を味わっていた。彼女らは懇親会の手伝いに来ているのだ。
 中締めを潮(しお)に、研修所へ向かった。
 今夜も戸締り当番。
 やがて同僚の女子たちが戻ってきて、バレンタインのチョコをもらってしまった。
 帰宅して、テーブルの上にチョコを置いた。
 ワイフや長女、次女、義妹からもらったチョコもあって、山積みになった。
 最初から服喪中でもバレンタインデーは除外だったということだ。

2月15日(金)「これで普通の生活?・・・の風さん」
 朝から雨模様。
 旧職場に出社した。
 今年から担当している安全・衛生・環境とはちょっと違うが、職場のサーバーの問題について、同僚と一緒に室長に報告した。これがうまく行ったので、来週末の東京出張の許可をゲットできた。
 続けて、安全関係の打ち合わせ。
 久しぶりに昼食を美味しく食べられた。やはり、仕事は精一杯やらねば。
 火曜日はお金がドーンと引き落とされる日。今日は、原稿料が、ドーンというほどでもないが、振り込まれる日。
 来週、収支結果を確認することにしている。楽しみでもあり不安でもあり。
 退社して、行きつけの床屋へ行った。
 入社以来しつこく利用しているところだ。マスターは代替わりしている。
 今夜は寝ないでしっかり読書した(当然か)。
 さらに帰宅途中でミッシェルに給油した。
 普通に生きるのも忙しいだろうなあ。
 昨日、病院でもらった湿疹の薬を、風呂上がりにたっぷり頭に塗った。

2月16日(土)「ゼミの卒業研究発表会・・・の風さん」
 今日はゼミの卒業生の発表会である。
 たくさんの卒業生が、さまざまなスタイルで卒業研究の報告を、後輩のために、という目的でしてくれた。
 それぞれ研究をまとめたプロセスとその反省を話してくれた。
 私にとって一番の収穫は、テーマにせよ、まとめ方にせよ、さまざまなパターンがあっていいということだった。
 きちんとしたケースを作成しなければいけないと思っていたし、コンサルティング・ノートもかなりの負荷になると思い込んでいたので、そうでもないことを知って気が楽になった。
 今日の報告の中では、「卒業後起業する可能性があります」という勇ましいのがいくつかある中で、「結婚します。会社もやめちゃいました。MBAホルダーの名に恥じない主婦になります」というのが最高だった。主婦になるということ(子供を産んで育てることを意味している)以上に価値のある(世の中に貢献する)起業は他にないからだ。
 先週は参加できなかった懇親会にも参加した。
 講義や討論では出てこない情報交換ができる貴重な場だ。
 面白そうなので、7月に3日連続で開催される、東京校・名古屋校・大阪校合同講義の中の英語の講義に出席することにした。お金がなくて行けない短期留学の代わりにしよう。

2月17日(日)「クラシックの夕べ・・・の風さん」
 先日の同期会のとき、コンサートの誘いがあった。愛知県芸術劇場コンサートホールでオーケストラの一員(チェロ)として演奏するという。昨年の12月、牛田智大くんのピアノを聴いたホールだ。
 パンフレットを見てさらに驚いた。指揮者は有名な松尾葉子さんだったからだ。
 トールペインティング協会の仕事があるワイフは、先に名古屋へ出発した。
 私は昼過ぎまで自分の仕事をし、遅れて名古屋へ出発した。
 会場へ着いてまた驚いた。プロのオーケストラによる演奏会ではないはずなのに、入場者が多いのだ。
 それでも早めに入場してよかった。かなり前の方に席を確保できたからだ(全席自由席で早い者順)。
 今夜の演目は、3人の作曲家の作品で、ドビュッシーの「海」、フォーレの「ペレアスとメリザンド組曲」そしてストラビンスキーの「春の祭典」である。
 席が前の方だったこともあり、同期の友人はもちろん、一人一人の楽団員のひたむきで個性あふれる演奏がこちらに迫って来たし、指揮の松尾葉子さんの演奏家たちの力の引き出し方もしっかりと見てとれた。
 難しい楽曲ばかりだったが、すばらしい演奏だったと思う。
 今日は、松尾葉子さんの60回目の誕生日で(おお! 学年は違うが、同じ1953年生まれだったのだ)、その松尾さんの終わりの言葉で「初めて聴いた方も多かったのではないでしょうか。とても難しい曲ですが、よく演奏してくれました」とのことだった。やはり良い演奏だったのだ。
 ワイフも満足したらしく、その後、晩飯をおごってくれた(笑)。
 帰宅して、リビングで一休みしているときに、私は2階へ上がり、がらくたの山の中から録音したカセットテープがぎっしり詰まった紙袋を持って来た。
 そして、ミニステレオのテープデッキに入れて、音を出した。
 このテープを聴くのは、もしかすると、社会人になって初めてかもしれない。
 そう。大学時代にFMラジオからエアチェックしたテープなのだ。
 当時、仙台の北の高台に住んでいて、電波状態がすこぶる良好で、クロムテープのおかげもあり、すばらしい音質である。
 流れて来た楽曲は……、ヒューバート・ローズのフルートで、フォーレの「パバーヌ」、ドビュッシーの「パンの笛」そしてストラビンスキーの「春の祭典」だった。
 ワイフの驚きは見ていて楽しいほどだった。最後の「春の祭典」は、ついさっき聴いたばかりの曲だったからだ。
「よく覚えているね」
「昔のことはよく覚えているのがボケ老人さ」
 大学時代ジャズとクラシックのクロスオーバーが特に好きで、「FMレコパル」を買うと、番組表の中にオレンジ色の文字(ジャズを意味する)ばかり眺めたものだった。
 今夜の演奏は、誰よりも私が楽しんだに違いない。

2月18日(月)「雑務の積み木崩し・・・の風さん」
 冷たい雨がぱらつく中、製作所に出社した。
 会議後、本社へ向かった。鳴海風専門書店で売れ残りの本を回収した。
 旧職場へ移動し、昼食。
 予定していた会議が出席者の都合で開催されないことが分かったが、研修所に戻ることはせず、自分の仕事をした。
 郵便局でようやく推理作家協会の年会費24000円を送金し、スーパーでコーヒーを買い、ガソリンスタンドで灯油を買って帰宅した。
 今日も雑務の積み木崩しみたいな1日だった。

2月19日(火)「すごい数字・・・の風さん」
 ワイフのアクアの6ヶ月点検のため、アクアで出社した。
 有料道路を運転してみて、ミッシェルの走りの良さを再認識した。アクアはスポーツタイプにチューンナップしてあるが、ハイブリッドで攻めてきても、ミッシェルには遠く及ばない。
 昼休みにまたNHKのプロジェクトXのビデオを観た。今日は「セイコークォーツ」。
 仙台時代の話だが、大学院に合格した私は、セイコーシャリオを買った。今風にいえば「自分へのご褒美」。もちろん鳴海風の辞書には「自分へのご褒美」などはない。預金通帳の残高が常にマイナスになっているような気分なので、いつも罪悪感と背中合わせである。
 それにしても、イノベーションというのは、「高い志」と「不可能への挑戦」そして「努力」が不可欠だ。
 来月始めにまた時計に関する講演をするので、良い勉強になった。
 アクアの点検結果は何も問題なかったが、走行距離が6500kmになっているのには驚くというか呆れた。まだ県外へドライブに行ったことがないのだが。

2月20日(水)「iPhoneの筐体(きょうたい)の製造法・・・の風さん」
 午前中、これまで知りたくてなかなかその機会がなかったことを、雑誌「日経ビジネス」の記事を読んでようやく知った。記事はフォックスコン(ホンハイ精密工業)に関するものだ。iPhoneの筐体(きょうたい:ケースのこと)の製造法が書かれていた。なんと、金型と同じ製造法を用いていた。つまり、マシニングセンターによる研削と切削である。
 デザインを重んじるiPhoneのケースは角形である。そして内部は部品をおさめながらスイッチ類があるため異形状というか案外複雑な3次元構造なのである。外側のシンプルさからは想像がつかない。
 iPhoneは超大量生産となる。そんな製品のケースを金型のようにマシニングセンターで加工していたら、設備が何台あったって追いつかない。しかし、大量生産に向いているプレス加工やダイキャストは使われていないのだ。
 だから、フォックスコンは日本から1万台ものマシニングセンターを購入した。1台が1千万円としても1千億円だ。
 10兆円の売上があり、120万人もの従業員を抱える巨大企業ありながら、意思決定の速さには定評のあるフォックスコンだからできたのだろう。
 また、逆に、低コスト工法を条件に設計していたら、プレスやダイキャストあるいはプラスチック成形になって、iPhoneのシンプルな機能美は得られなかった。
 日本企業が研究すべきビジネスの好例の一つがアップルでありフォックスコンである。
 今日の昼休みのプロジェクトXは「新幹線」だった。戦争中に技術将校として戦闘機や軍艦を設計していた人たちが、平和な時代でも見せた開発者魂だった。

2月21日(木)「先にひと筋の光明が・・・の風さん」
 通勤途上、有料道路で半田のあたりに達したら、人家の屋根に雪が積もっている。今年は春が遠そうだ。
 研修所で会議に出席してすぐ旧職場に向かった。
 ミッシェルでそのまま敷地内に入るのだが、ゲートの直前で、パワーウィンドウが動作せず、少々慌てた。
 恐れていたことが起きた、と思った。以前から動きが鈍かったからだ。
 それで、入門時、ドアを開けて「すみません。パワーウィンドウの調子が悪くて」と言い訳しつつ、身を乗り出して、チップ入りネームプレートをリーダーにかざした。
 中に入って原因を探ってみたら、なんと、パワーウィンドウをロックしてある!
 ふだんからロックなどしたことがない。自分以外にミッシェルに乗る人はいないので、犯人は自分以外に考えられない。しかし、まったく記憶がない。意識もない。信じられない。ボケだ。
 打ち合わせ後、電車で名古屋へ向かった。
 名古屋大学で知り合いの先生に定年後のことを相談した。非常に親身になって話を聞いてくれた。もしかすると、新しい人生が切り拓かれるかもしれない。
 続けて、別の先生のところへ行って、懇談した。某社から出向してきている先生で、幸いというか運命の綾で、同い年である。誕生月も1ヶ月しか違わない。立場は違っていても、同じ悩みを持っていた。良き相談相手ができた。
 なんとなく先が明るくなったような気がした。

2月22日(金)「実家の匂い・・・の風さん」
 最寄りの駅を6時37分に出る電車に乗って、東京出張に出かけた。
 JMA主催の「2013生産革新大会」で講演を聴講するのだ。会社の同僚がどうしても行けなくなってしまい、できれば私に行って欲しいと言われていた。迷っていたが、土日に福島へ行って母の遺品の整理をしようと思い、それで、出張に行くことにした。
 JMAは知り合いが多いので、会場に着くなり、有料入場者の立場でなく、まるで関係者のような顔で歩き回った(笑)。お昼も講師控え室で一緒にお弁当を食べた。
 今日は3つの講演を拝聴する予定だったが、最初の講演から脱線した。たまたま席についたら、隣が同じ会社の知人だったので、講演者への質問を依頼して、別の会場で知人の講演を聴いた。これが、最高傑作の内容だった。知人の会社人生の総集編みたいな内容で、共感共鳴するところが多かった。
 最後まで講演をしっかり聴いて、会場を後にした。
 東京駅八重洲口近くの知人のカフェバーに寄って、近況を語ったあとすぐ、東北新幹線に飛び乗った。
 郡山駅に着いてすぐ、立ち食い蕎麦で晩ご飯にし、バスで母の家に向かった。
 葬式以来、3ヶ月ぶりの実家である。
 玄関のドアを開けると、母が元気だったころの家の匂いがした。
 自分の部屋に入り、ワイフに安着メールを送っていると、涙ぽたぽたカーペットに落ちていった。

2月23日(土)「遺品整理の1日・・・の風さん」
 起きて外を眺めたら、一面の雪景色である。
 いつ買ったのか分からないコーヒーを淹れ、義姉が用意してくれたパンで朝食にした。
 午前中は2階の隣の部屋、午後は父の部屋の整理をした。
 昼食は、2011年8月28日が賞味期限のカップみそラーメンにした(問題なし)。
 そういったことをしながら、今日は4回も洗濯した。
 ホコリが舞う仕事をしていたせいか、花粉症になってしまい、母の残した鼻水の薬を飲んだ。
 夜は兄の家で晩ご飯をよばれ、帰って入浴後、ビールを飲んで寝た。
 忙しい1日だった〜。

2月24日(日)「ワイフが風邪でダウン・・・の風さん」
 今朝も激しい雪が降っていた。
 東京へ出張する兄と一緒にタクシーで郡山駅へ向かった。
 激しい降雪は東北地方全体で、さすがの東北新幹線も遅れた。
 東京まで兄と雑談して過ごした。10歳離れている兄とは、なかなか話ができない。今日は、良い機会だったので、思い切って僕の本を接待代わりに贈呈したらどうか、と提案した。兄もその気になったようだ。
 東京駅で兄と別れ、私は新幹線の指定券をもっと早い列車に変更し、のぞみに飛び乗った。
 ワイフが風邪で寝込んでいることを知っていたからだ。
 とにかく急いで帰宅したら、ワイフはベッドで病人になっていた。氷枕もしていた。
 インフルエンザではないかと聞いたら、たぶん違う、とワイフは元気のない声で答えた。
 そのワイフの代わりに買い物に出かけ、夕食も私が準備した。
 どこにいても忙しい風さんである。

2月25日(月)「いつ休んでいるの?・・・の風さん」
 旧職場に出社し、マネージャー以上の会議に出た。いくらか情報を得た。
 席に戻ったら、売店の金券を渡された。先日出した交通安全標語に対する景品で、職場内の投票がそこそこ集まったせいである。ど貧乏の風さんには涙が出るほどうれしいご褒美だった。
 途中、本社へ往復し、部長の承認印をもらってきた。
 関係する拠点が多いと、移動してばかりだ。
 今日は、もう一つ遠出もした。懐かしのキャンパスを訪れて、パソコンをいじってきたのだが、短い時間で、作業は中途半端に終わってしまった。あとで確認作業が必要だが、いつできるか分からない。
 定時後、今月の出張報告を2件書き上げた。
 超特急で書いてさらに関係する資料をまとめたつもりだが、だめだめ、結局退社時刻は8時をだいぶまわっていた。
 それでも帰りにミッシェルに給油することは忘れなかった。
 ウィークデーもウィークエンドも、あいかわらずめまぐるしい。

2月26日(火)「ケータイ忘れ対策・・・の風さん」
 研修所へ出社途中で郵便局に寄って手紙を投函した。
 研修所には楽勝で早々と着いたが、自慢にはならない。
 また、ケータイを家に忘れてきた。1週間に1回はやるドジ(ボケ)である。対策を考えねば。
 月末の事務手続きを処理し、昼食後、また旧職場へ向かった。
 旧職場で厄介な仕事を抱えているので、頻繁に出かける必要があるのだ。
 旧職場で、ケータイ忘れ対策を教えてもらった。忘れ防止ではない。電源コードを常時カバンに入れておけば、毎朝、出かける直前まで充電している必要がない。前の晩から、ケータイもカバンの中に入れておいていいわけだ。電源コードを2本持っている私ならすぐできることだった。
 帰りに郵便局に寄って、京都の長男に義援金を送った(笑)。
 帰宅し、次女に餞別とブックオフの売上(次女の『名探偵コナン』34冊)340円を上げた。餞別の意味は、週末から彼女が香港へ行くからである。大学の仲間と20人近いツアーで、現地で絵画の展示会をやり、向こうの学生と交流もしてくるらしい。費用は自分で用意しているので、餞別くらい出さねば。
 私も週末は東京からまた福島へ足をのばすので、ネットで切符の手配を一気にやった。
 もう一つ重要な出来事。
 秋田県庁に勤める知人から、著書が送られてきた。『持続性あるまちづくり』(創風社)。共著とはいえ、初めての著述で、すばらしいことだ。このHPの寄贈書籍一覧にアップしておこう(あ、専門書です)。

2月27日(水)「偶然?それとも必然?・・・の風さん」
 偶然とは恐ろしい。
 研修所にいる私は、ひょんなことを知ることがある。
 ある受講生のレポートの出来が悪いと社内アドバイザーから指摘があって、再提出となった。講師は著名な大学教授なので、社内アドバイザーが実質的な研修効果を上げるため(出来の悪い受講生は落とせばよいというわけではないから)、縁の下の力持ちとして動く。
 社内アドバイザーの指摘は、研修所から受講生の上司へ伝えられた。「こんなことは前代未聞だ」という追加情報付きだった。
 早速、受講生の上司から研修所へ、しっかりチェックしなかったことを謝罪するメールが届いた。
 私は、研修所にいて、立場上、この顛末を知ることができた(一連のメールにCCで私が宛先になっていた)。
 私自身もやや驚くことがあって、出来が悪いと指摘されたレポートを確かめてみた。
 確かにレベルは低かったが、罵倒されるほどのものではなかった。しかし、大学教授にそのまま見せるのは恥ずかしい気がした。
 大きく介入するほどの事件ではなかったが、少しだけ顔を出したかったので、受講生の上司へメールを送った。内容は昔話だった。
 実は、受講生の上司は、20年ほど前に、私の部下だったことがあった。
 偶然とは恐ろしい、と冒頭に書いたのは、それだけではなかった。
 社内アドバイザーも、以前、私の部下で、そのとき受講生の上司の直属の上司として仕事をしていたのだ。
 関係者の相関図を知った受講生の上司から、すぐさま恐縮した内容の返信があったのは言うまでもない。
 午後、研修所から旧職場へミッシェルで移動し、定時後に私は、今は上司の元部下へ、ある仕事のことで謝罪した。
 長い年月、会社に勤めていると、こういったことが起こるのは珍しいことではない。

2月28日(木)「データの保存でミス・・・の風さん」
 明日の講演のスライド作成をやっていて、今朝寝たのが4時45分で、起きたのは6時45分だったから、睡眠時間は2時間だった。
 研修所へ出社し、会議に出たあと、会社は先輩だが、高校は後輩の上司と面談した。おっと、これでは昨日の続きだな(笑)。
 毎年2月は「早い」。あっという間に過ぎ去る。
 明日からまた先週の繰り返しのような状況になるので、雑務を可能な限り済ませて、旧職場へミッシェルで出かけた。
 旧職場には、やる気の失せた担当がいて、モチベーションを再び喚起させるため、根気よくコミュニケーションを深める必要があった。
 しかし、この私の、辛抱強い処方箋も、そろそろ成果を出さなければならない、土壇場に追い詰められつつあった。
 やっと帰宅した。
 明日の講演スライドはまだ完成していない。
 しかし、週末全体のスケジュールを考えると、今夜は早めに寝て体力を取り戻しておかなければならない。
 午前零時過ぎに、この辺が潮時と判断して、スライド作成作業を切り上げた時にトラブルが発生した。
 完成させた講演スライド・データの保存作業でミスをしたらしい。
 マックブックエアーに移したデータを念のために開いてみたら、昨日のままである!
 確認のために、執筆マシンに保存してある更新データを開いてみたら、昨日のままである!
 それもそのはず、どちらも作成年月日は昨日になっている。
 さっき完成させた講演スライドはどこへ行った?
 それらしいファイルを探したら、テンポラリーファイルになっていた。
 パワーポイントデータらしいのだが、これが開けないのである。知っているテクニックを駆使したがだめだった。ネット検索をして別の手法を探ってやってみたがだめだった。運がよくなければ開けない、というのが常識のようだった。
 諦めた私は、今夜の作業をやり直す覚悟を決めた。
 午前4時に就寝したが、6時に起きなければならなかった。
 また今夜も睡眠時間は2時間である。 

2013年3月はここ

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